プロフィールをご覧いただきありがとうございます!
プロフィールは私の事を知って頂くために、ありのままの私について語ってみようと思って作成しております。
私は、本当にどこにでもいる極々普通のつまらないアラフィフの男性です。
そんな自分が、自由な人生を手に入れるために諦めずに挑戦する姿を見て頂くことで、どなたかの役に立つことができればいいなと思っております。
このプロフィールを読むことで、下記のような気持ちになれます。
✅アラフィフという年齢になっても、夢や目標を持ち、それを追い求める姿勢や情熱に触れることで、自分も諦めずに新たな可能性を追及する勇気をもらえます。
✅リアリティーのあるアラフィフの挑戦を目にすることで、困難や挫折があっても諦めずに前進することを学ぶことができます。
✅なんの取り柄もない私が挑戦する、自己実現や自己成長の過程を追いかけることにより、自己実現を果たすことができるという希望を得ることができます。
まさのプロフィール。
自由な人生を手に入れるために、アラフィフから挑戦するドキュメンタリー
1.生い立ちからブログ挑戦までの経緯
- ストーリー(1):生い立ち
- ストーリー(2):逃げまくった学生時代の話
- ストーリー(3):迷走しながらチャレンジした20代前半の話
- ストーリー(4):実家から離れてアトピーとの戦い
- ストーリー(5):綱渡りの生活だった時代
- ストーリー(6):挑戦開始その①〜ブログ挑戦まで
2.まとめ:まさBlogで発信している内容
▶️まさBlogでは、「ママが助かる!」「ママが喜ぶ!」など、ママさんたちの笑顔につながる有益な情報を発信していきます。
まさのプロフィール。
自由な人生を手に入れるために、アラフィフから挑戦するドキュメンタリー
生い立ちから挑戦開始までの経緯
ストーリー(1):生い立ち
愛知県出身 営業マンの父と美容師の母 弟1人。ごくごく普通の家庭で育ちました。
the昭和のバブル戦士の父と、自宅で美容院を営む朗らかな母。
ジャッキーチェンに憧れ、塀によじ登り飛び降りていた幼少期。
運動神経だけは良かったと思います。
両親の出身は、静岡県の山奥(今では限界集落)で、親戚も多く年も近かったので、長い休みは、みんなで川で遊んだり、山を駆け回ったりしており、自然が大好きになったルーツになったと思います。
名前に「正」という字を使ってもらったお陰か、まじめな性格になった様で、勉強は「中の中」程度の成績でしたが、地頭が良くない様で、実力はありませんでした。
虐められるタイプではなかったですが、身長も163cmと小柄で、気が小さく、気も弱く、自己肯定力が低く自分に自信がない子供でした。
部活は軟式テニスをやっており、昭和時代の厳しい練習に耐え、県大会ベスト8で引退しました。
ストーリー(2):逃げまくった学生時代
やりたい事もなく、自分に自信が持てない私は、挑戦することを止め、逃げる人生を歩き始めます。
真面目な性格でしたので、テスト前は勉強したので内申は「中の中」程度ありましたので、地元のギリギリ進学校への推薦条件を満たしておりました。
地頭が良くなく、試験で合格する自信が持てなかった私は、
「よっしゃ!面接だけでいいし、近いからいいや。」
と、挑戦することから逃げて推薦で受験し進学します。
高校時代は、人並みに勉強も恋愛しながら、将来のことなんか何も考えずに、ごくごく普通の高校生活を過ごていたら、あっという間に3年生に・・・。
中学時代同様、真面目な性格でしたので、テスト前は勉強したので内申は「中の中」程度ありましたが、やはり地頭が良くなかった様で、模試の成績は全然ダメ。
やりたい事もなかった私は、とりあえず時間稼ぎに大学進学を希望。
しかし、3者面談では、このままでは行くところないとまで言われ、指定校推薦をもらえる大学はないかと調べると、今で言うFラン大学の基準を満たしておりましたので、
「受験しても合格する自信ないし、行けるならどこでもいいや!」
という事で、またしても挑戦することから逃げ、推薦で進学することになりました。
ストーリー(3):迷走しながらチャレンジした20代前半の話
やりたい事も特になかった私は、バイトと遊びに明け暮れる大学生活を送り始めます。
居酒屋でのバイト、クラブ通い、サーフィン、スノーボード・・・
今で言う「チャラ男」を地で行く感じでした。
2年生になった頃、父親から
「お前は視野が狭い!外国にでも行って視野を広げて来い!」
と言われ、「逃げてばっかりだった自分を変えたい!」との想いもあり、憧れもあったアメリカ西海岸サンディエゴへ短期留学へ行くことになりました。
今思えば、これがチャレンジ精神の芽が出た瞬間だったかも・・・
帰りに涙が出るほど楽しかった1ヶ月。
これに味をしめた私は、次の年も行かせてもらうことに・・・(親には感謝しかない)
次はオーストラリア ゴールドコースト!
前回は、ホームステイだったのですが、オーストラリアはバックパッカーズというルームシェアでの滞在。
ここは、ルームメイトが入れ替わり立ち替わりする安宿で、国籍問わず、色々な人との触れ合いがあったのですが、ここで衝撃を受ける出会いが・・・
「羊が見たかったから」
と、日本人なら誰でも知っている大企業を辞めて、ニュージーランドに来たというお兄さんに出会いました。
「えっ!?」
まだ、転職にネガティブなイメージが強かった当時、新卒で入社した会社で一生勤めるのが一般的だと思っていた私は、とても衝撃を受けました。
これがこの後、新卒で内定をもらった企業を入社前に辞退し、第二新卒で入社した企業も1年で辞め、自分探しの自転車旅に出かけるという迷走の種になりました。
ストーリー(4):実家から離れてアトピーとの戦い
迷走しながら遠回りをの道中、実家を出たかった私は、寮のある同じ愛知県内の企業へ入社。
まあまあなブラック企業(ルート営業)で、海外転勤もあり、その希望もあったので頑張って勤めるなか、
「やっぱり営業は嫌でしょうがない。 こんな生活じゃ子供と一緒に遊べないじゃん!」
という思いが強くなり、バリバリ文系でしたが、モノ作りが好きだった事もあり、お客さんだった自動車部品製造会社へ転がり込みました。
時を同じくして、学生時代から付き合っていた彼女と28歳で結婚。
1人目の子供にもすぐ恵まれました。
ここで大きな試練が・・・
この長男ですが、生後まもなく湿疹が全身に出始めました。
「乳児湿疹かな・・・」
とりあえず様子を見てましたが、日に日に湿疹は悪化!
買い物に行っても「どうしたの?大丈夫?」と、見知らぬおばちゃんに心配されるほどに・・・
「これはアトピーじゃないの? 薬もらいに行こうよ!」
と妻に言ったのですが、アトピーについて色々調べた様で、
「ステロイドは絶対に使いたくない!」との結論に・・・
私は、子どもが痒くて掻いちゃって血だらけになっている姿や、それをケアしている妻の辛そうな姿を見て、
「ステロイド塗った方が良いんじゃないの? 病院行こうよ!」
と、持ち掛けますが断固として反対してました。のちにこの判断が間違っていなかったことに・・・
その後も、良くなる気配もないなか、温泉湯治でアトピーを治すという方法があるとの事。
名古屋でその企業の説明会があるとのことで、参加することに・・・
浄水器をつけた上で、濃縮温泉を入れたぬるめのお風呂に、1日2回入る事で、悪いものを出していくというもの。
20代の安月給にはかなりインパクトのある金額でしたが、妻の執念は凄く、契約することに・・・(私は完全に怪しんでました・・・)
濃縮温泉、スキンケア、食品添加物にも気を配る様になり、貯金がみるみる減っていくのに、全然成果が出ない・・・
そんなキツい生活をしながら、ケアしていくうちに、
「あれっ!? なんかツルツルの部分が増えてきてない?」
ほっぺなんか全部真っ赤で、ボロボロだったのに、プリップリのツルツルお肌が増えてきたのです!
その後半年ほどケアを続けていき、1歳になる頃にはツルッツルになり、克服出来たのでした。(妻には頭が上がりません)
この会社の温泉湯治施設が九州にあったのですが、克服体験のモデルにということで、2回も招待して頂き、機関誌にも載っちゃいました。
健康への意識は高くなり、ログハウス購入へと繋がっていきます。
ストーリー(5):綱渡りの生活だった時代
何とかアトピーを乗り切り、そろそろということで一軒家の購入の検討が始まりました。
妻の希望、健康意識の向上から、ログハウスがいいという方向になり、モデルハウスを見て回るうちに親からの援助もあり、ヌルッと購入へと進むことになりました。
アパートの家賃以下でという事で予算を立てた為、中途半端な田舎に建てることになり、これが、綱渡りの始まりとなりました。
次男も生まれ、長女にも恵まれた頃、「リーマンショック!!!!」
頼みの綱だった残業も減り、妻も専業主婦だった為、本当にカツカツの生活が続きました。
3人の子供に恵まれ、余裕はないけど、みんな元気で、これで文句言ってたらバチが当たると思いながらも、旅行とかあまり連れて行けない自分が情けない。
健康への意識は高いままで、そこのこだわりに対して、ケンカすることも少なからずありました。
子供の頃から好きだったモノ作りへ転職したことは正解だった様で、順調に昇格していき、恥ずかしくない年収になりましたが、実家から離れて、1馬力で4人養う事のはキツかった・・・
中途半端な田舎で、両親の援助もないので、妻の仕事も制限される。
「俺が、副業して収入増やすしかね〜か!」
と、リサーチが始まりました。
ストーリー(6):挑戦開始その①〜ブログ挑戦まで
「在宅で何かできるものはないか?
軍資金も少ないし、在庫を抱える様なのはリスクあるし・・・」
「モノ作りは好きだけど、なんかないかな〜 んっ? ホームページ作成なら自宅で出来るし、在庫も抱えなくていいな!」
ということで、ツイッターやYouTube、有料教材も購入し、1年ほど独学で学習しました。
そんな頃、大学時代メンバーの忘年会で、イラストレーターを始めた友人のホームページを作らせてもらえることに・・・!
友人とはいえ、お金を頂いているので甘える訳にはいかない。
友人:「こんなの出来る?」
私:「ちょっと調べてみるわ! こんな感じでどう?」
友人:「もう少し、こんなイメージに・・・」
私:「ちょっとやってみるね」
すでに、管理職となっていましたが、所詮中小企業。プレイイングマネージャーです。
正直、どうしていいか分からず、独学で頼る人もいなかった為、夜遅くまでグーグル先生に泣きついたり、クラウドワークスなどお金を払って解決することもありました。
同じような感じで、案件を取れても、続けるのが大変で辞めていくツイッターのフォロワーも多かったです。
3年間頑張り、投資額程度を回収出来た頃、ホームページを閉鎖することになり、解放されることに・・・
所詮、労働収入。
体は一つ・・・
副業で成功する人は、みんな乗り越えていく壁なんだと思いましたが、体を壊しても・・・という都合のいい言い訳をして、しばらく悶々としておりました。
そんな時、今まで敬遠していたブログアフィリエイトについての記事を目にすることに。
「大事なのは、読者の悩みを解決することで、やり方を間違えなければ、稼ぐことができる。」
「ウェブ制作とは違って、書いた記事は資産となって、半自動の自動販売機になってくれる。」
「ブログを書けるほど、特化した知識も、得意なこともないし、俺には無理だわ・・・」と思っていましたが、
「これはチャレンジする価値あるかも・・・」
まとめ:まさBlogで発信すること
プロフィールを読んで頂きありがとうございました。
本当に要領が悪く、遠回りをして、気づいたらアラフィフになってしまった、こんな私ですが、ブログに挑戦する姿を残して行きたいと思います。
駆け出しブロガーで、的を得ない記事もあるかもしれませんが、誰かのお役に立てる記事を少しでも多く書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。